ゆる部屋

好きなことしながらゆるりと生活していくこと(=ゆるりすと)を目指します。

橋本努 『学問の技法』

学問の技法 (ちくま新書)

学問の技法 (ちくま新書)

本書『学問の技法』は北海道大学橋本努先生の著書だ。橋本先生のHPにお世話になっている身として(本書の内容も大学の授業・HPがもとになっているようだ)、早速買って読んだ。

【抜き書き】橋本努『学問の技法』

「早く抜け出るべき」本

内容としては、前半で学問とは何か、とかこういう生活を送ろうといった「学問をする上での心構え・生活術」を説いたうえで、後半に「情報収集の技法」・「読書の技法」・「議論の技法」・「問いかけの技法」・「レポートの技法」・「論文執筆の技法」といったテクニックを紹介する、という構成だ。
本書は「学びの技術」を紹介したマニュアル本ととらえることができるが、正直マニュアル本・学びのテクニック本としては内容に不足があると私は思う。なぜなら、肝心の具体的なテクニック紹介が少ない、弱いのだ。

もうすこし具体的にいうと、「まず○○してみる。そうするとそのうち××になってくる」という記述が多いのだ。たとえば、

自己嫌悪に陥ることを顧みず、スノッブな生活を続けていれば、実際に本当に知的になるので、そこでスノッブをやめればよい(p. 57)

とにかく最初は、がむしゃらに読まなければならない(中略)真に独創的なものは、損な読書から生まれる(p. 109)

いちいち疑問を発するという作業を執念深く繰り返していくと、どのように懐疑すれば的を得ているのか、という感覚がしだいに身についていく(p. 178)

といった具合に、「まずがむしゃらにやれ。そのうち見えてくる」といったような記述が多いのだ。だが、「がむしゃらにどうやるのか」の説明がそれほど多くないのだ(どうやるのか考えてたらそれはがむしゃらじゃないのかもしれないが)。

具体的なテクニックを解説した良書はほかにいくらでもある。
情報取集の技法であれば、井上真琴図書館に訊け! (ちくま新書)、読書の技法であれば佐藤優読書の技法 誰でも本物の知識が身につく熟読術・速読術「超」入門、問いかけの技法なら野矢茂樹論理トレーニング101題苅谷剛彦知的複眼思考法、レポートの技法なら酒井聡樹これからレポート・卒論を書く若者のためにや木下是雄理科系の作文技術 (中公新書 (624))等々たくさんあげることができる。もちろん新書1冊にこれらと同等の情報量を求めることはできないが、テクニックの「あっさりさ」は確かにある。

しかしながら、本書はそれでいいのだと思った。「がむしゃらにやれ!」と本書にあおられると、「うおおやるぜ学問やるぜ!」という気になるのだ。そして本書に乗せられてがむしゃらになにかを始めてみればいいのだ。そこで詰まったら、上記のような具体的なテクニック本に助けを求めればいい。つまり本書すら「かむしゃらに」読み、さっさと学問を始めるべきなのだ。著者の言うとおり本書から「早く抜け出る」べきなのだ。

そういう学問へのはじめの一歩、動機付けの書として、すぐれた新書だと思う。

6章「議論の作法」はじっくり読みたい

がむしゃらに読むべき本、などといったが、第6章の「議論の作法」はじっくり読んで身に着けたい態度・テクニックが書かれている。とくに「議論を継続できるための作法」というセクションでは、議論を継続するための心構えが9つ示されている。議論を継続すること、相手の発言に生理的嫌悪を示さないこと、感情的にならないこと、逃げ腰にならないこと、等々当たり前のことばかりであるが、日常生活の中でも心がけることでよりよい議論を作り出していくヒントになると思う。

とりわけ上の「抜き書き」でも引用したが、

黙り込まず、嫌でも議論を続けるということは、この社会を民主的に保つための、最低限のマナーである(p. 161)

ということは、常に意識しておきたいことだ。


図書館に訊け! (ちくま新書)

図書館に訊け! (ちくま新書)


読書の技法 誰でも本物の知識が身につく熟読術・速読術「超」入門

読書の技法 誰でも本物の知識が身につく熟読術・速読術「超」入門


論理トレーニング101題

論理トレーニング101題


知的複眼思考法

知的複眼思考法


これからレポート・卒論を書く若者のために

これからレポート・卒論を書く若者のために


理科系の作文技術 (中公新書 (624))

理科系の作文技術 (中公新書 (624))

【抜き書き】橋本努 『学問の技法』

学問の技法 (ちくま新書)

学問の技法 (ちくま新書)

抜き書き

「勉強」とは、「ある問いに対する答えを学ぶこと」である。これに対して「学問」は、「答えの確定していない新たな問いを発すること」である (p. 17)

いろんなところで、いろんな本で言われることだが、常に心に留めておきたいことだ。

「学問」は、自分で問いを立て、その問いに対して「創造的な応答」を挑むところに醍醐味がある(p. 19)

速読よりも、精読に値する本を読む技術を身につけなければならない。速読よりも「遅読」に値する本を見つけなければならない (p. 124)

これはまさしく。

人や本に対して、その長所と短所を同じくらい長く述べることができるようになりたい (p. 144)

なりたい。

「意見」というものは、自然に湧いて出てくるのではない。意見は、その場であえて作る、でっち上げるものである (p. 150)

黙り込まず、嫌でも議論を続けるということは、この社会を民主的に保つための、最低限のマナーである(p. 161)

これも自分の中に留めておきたい。

「精読」とは、本の内容を十分に理解することではなく、鋭い疑問を提出できるようになることである(p. 179)

精読とは、必ずしもゆっくりよむと同義ではない。そして精読は、本の内容を分解して、理解して、自分の中に取り入れるところで終わるものでもない。

本書の内容は、大学で学ぶための、あくまで「はやく抜け出るべき段階」を示している(p. 227)

「恵まれてるよ」というのはやめよう

私は職場の近しい友人に「いやー仕事でこんな嫌なことがあってさー」や「うちの職場の○○がよくない」みたいな愚痴をこぼすことがあるが、その時の返答として

「いや、うちはまだまだ(ほかの部署・会社に比べ)恵まれているよ」

というのがある。この「恵まれているよ」というのがたまらなく嫌だ、というお話。

嫌なものは嫌だ、というはなし

嫌悪感は相対的にとらえるべきものではない。あなたにとって嫌じゃなくても、私にとっては嫌だ。ほかの人はもっとひどい目にあっているのかもしれないけど、そんなの知らないけど、とにかく私は嫌だ。「恵まれているよ」といわれても、私が感じた嫌悪感がぬぐわれるわけではない。恵まれているかどうか知らねえけど、嫌だったんだ!むかついたんだよ!といいたくなる。

この「恵まれているよ」の背景には、「まだいいほうなんだから、お前は(我々は)我慢するべき」という思想が潜んでいるのではないか。そんなこといっていたら、最もひどい仕打ちを受けている人以外は、我慢しなければならない、という理屈になってしまう。

「恵まれているよ」ということで改善の芽を摘んでしまう

この「まだいいほうなんだから、お前は(我々は)我慢するべき」という考えがはびこると、人が嫌だと思うこと、人に嫌だと思わせる組織の欠陥を放置してしまうことになりかねない。「○○はよくないと思うけど、我々はまだ恵まれたほうだから我慢しなきゃ!」という具合だ。

逆であるべきだ。

そこになにか問題があるなら、改善・解決するべきだ。そして我々が「まだマシ、恵まれている」のであれば、そういうところからこそ小さな改善をしていくべきではないか。そしてより大きい(「より恵まれていない」ところの)問題解決に向かっていくべきではないのか。


「恵まれているよ」という言葉は、改善・問題解決の芽を摘んでしまう、思考停止のことばだ。


だから、恵まれているよなんていわないで、わたしの愚痴を聞いてください(ω)

鉛筆の書き味 ―Hi-uni/ Mars Lumograph/ 大人の鉛筆―

私の趣味の一つに文房具がある。ものすごくいろんな文房具を試したとか、いろんなこと知っているとかそういうことはないんだけれでも、特に「書く」周辺の文房具に関してはそれなりにお金をかけてもいいかな、と思っている。

そのなかでも最近は「鉛筆」がマイブームだ。今日は私のお気に入り鉛筆3種を取り上げ、その書き味の違いを紹介する。

Hi-uni(三菱鉛筆

ひとつめはこちら。

三菱鉛筆 ハイユニ 2B HU2B ダース

三菱鉛筆 ハイユニ 2B HU2B ダース

定番中の定番中の定番、三菱鉛筆のHi-uniだ。
スタンダードタイプのユニが1本70円くらい(たしか)で買えるのに対して、Hi-uniは1本140円くらいする。しかし、その書き味は素晴らしい。「あぁ、鉛筆っていいなぁ。」と思わせてくれる逸品だ。

書き味を表現すると、「スラスラ」、もっと正確に言うと、「しゅらしゅら~」という感じである。印象としてはやわらかめの書き味で紙と芯がこすれる「しゅらしゅら~」という音が心地いい。

ステッドラー・ルモグラフ 製図用高級鉛筆(ステッドラー

ふたつめは、ドイツの筆記具メーカー・ステッドラールモグラフだ。

ステッドラーの最高級鉛筆ルモグラフの魅力 [ステーショナリー] All About

これも1本100円以上する鉛筆だ。一応「製図用」となっているのだが、別に普通にものを書くのに使って悪いことはなかろう。

ルモグラフの書き味を表現すると、「トゥルトゥルッ」という感じだ。芯がかなり硬いためか、紙と芯がこすれる音がHi-uniほどせず、芯がツルツル、トゥルトゥル紙の上をすべるような書き心地である。
また、芯が堅いため、4BくらいでHi-uniのB~2Bくらいの濃さになるような気がする。

大人の鉛筆(北星鉛筆)

最後は、北星鉛筆「大人の鉛筆」はスゴペン! - ゆるりすとの部屋でも紹介した、北星鉛筆の大人の鉛筆だ。

老舗の文房具メーカーが手がける「大人の鉛筆」に、見事にヤラレた大人の僕 : ライフハッカー[日本版]

前述の記事の通り、いわゆる普通の鉛筆とは違い、シャープペンシルのようにノックして芯を出すタイプのものである。しかし使っている芯は鉛筆そのものであるし、グリップの部分もまさに鉛筆といった感じだ。私は藍色を買ったのだが、この色も深みがって気に入っている。

書き味については、「サラサラ」、より正確に言えば「しゃらしゃら~」という感じである。

「Hi-uniのしゅらしゅら~と何が違うんだ!」といわれそうだが、違うんだから仕方ない。大人の鉛筆は「しゅらしゅら~」ではなく、「しゃらしゃら~」なのだ。
思うに、大人の鉛筆のほうがHi-uniよりも芯が硬め(ルモグラフよりは柔らかめ)なのだと思う。なのでHi-uniのように芯が紙とよりベッタリになるゆえの「しゅらしゅら~」という書き味よりも若干滑り具合がいい、「しゃらしゃら~」という書き味になっているのだと思う。

Hi-uniとルモグラフの中間の硬さ、という感じだ。


以上で私のお気に入り(というか定番?)鉛筆3種の書き味紹介を終わる。ちなみに私は現在大人の鉛筆を主に使用している。そして気分によって(「あぁー今日はトゥルトゥルッて感じで書きたいな!」みたいな)鉛筆を使い分けることもある。

ぜひ多くの皆様にこの書き味の違いを体験していただきたい。



ちなみに、しゅらしゅら~とか、トゥルトゥルッとか、しゃらしゃら~とか、自分でも言ってて気持ち悪いと思ってます。でも気持ち悪くたっていいじゃない人間だもの!

北星鉛筆「大人の鉛筆」はスゴペン!

タイトルは完全に、Dainさんのブログわたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいるのパクリなわけですが。


それはともかくとして、大人の鉛筆 彩-Irodiri-を最近購入したのですが、とてもいい鉛筆だと思ったので紹介したい。

私が購入したのは藍色。
最初は、

20130106164942

このように芯先は円柱のような形だが、付属の鉛筆削りでくるくると削ってやると

20130106165005

このようにきれいにとがる。

20130106165048


肝心の書き心地だが、これがまたいい。スラスラのHi-uniやサラサラのステッドラーの鉛筆とは微妙に違うが(なにが違うんだ!という感じもするがこの辺の書き心地については後日書きたい)、私としてはその二つの中間くらいの書き心地だと感じた。

グリップの色も深みがあって、とっても気に入った。最近の数学の勉強はもっぱらこの鉛筆を使ってやっている。


私の数学学習 ―動機と遍歴― (学習遍歴編)

前回から始まりまして、本日であっさり終わる、「私の数学学習 ―動機と遍歴―」の学習遍歴編です。(動機編はこちら



再学習を開始するにあたって参考にしたのは動機編でも引用した、数学にはネイティブはいない:「語学としての数学」完全攻略、その後 読書猿Classic: between / beyond readersである。

第1次期

学習を始めた時期は2012年の6月である。引きこもり学習を始めるにはいい時期ですね梅雨ですし。
上のページにあるように、

  • 短期間で小学校・中学校の範囲を復習
  • 計算問題集を一冊やりながら高校数学の学習

というながれを考えていた。
つかった教材は、

小学校6年分の算数が7時間でわかる本

小学校6年分の算数が7時間でわかる本

小・中・高の計算がまるごとできる―足し算・引き算から微分・積分まで

小・中・高の計算がまるごとできる―足し算・引き算から微分・積分まで

忘れてしまった高校の数学を復習する本―高校数学ってこんなにやさしかった!?

忘れてしまった高校の数学を復習する本―高校数学ってこんなにやさしかった!?

である(読書猿ブログに忠実である・・・)。

高校数学に関しては途中から、

数IA・IIB・IIICがこの1冊でいっきにわかる もう一度 高校数学

数IA・IIB・IIICがこの1冊でいっきにわかる もう一度 高校数学

に移行した。


小学校・中学校の範囲に関しては、動機編でも書いた通り、問題は解けた。解けるので意気揚々と高校数学の範囲に突入した。


そして挫折した。



数IA・IIB・IIICがこの1冊でいっきにわかる もう一度 高校数学はかなり解説も詳しいはずなのだが、どうもうまく進まない。そこで、どのあたりで行き詰っているのかを冷静に観察してみると、

  • 計算途中・式変形
  • ロジックの1ステップ

で引っ掛かりが多くあるようだった。

加えて

  • 用語・定義の記憶、理解の曖昧さ

もあると感じた。
そのような自己分析をしたうえで、それをどう克服しようかと考えたところ、(いろいろこの間考えたんだけど)結局中学数学の範囲まで戻ってちまちまやり直していくことに決めた。

第2次期

参考書としては、

語りかける中学数学

語りかける中学数学

を使用することにした。しかし、この本は非常に解説が丁寧でわかりやすいのだが、問題数が少ない。それでは上で言及した「計算途中・式変形」の躓きは克服できないように感じた。

少年:そう。最初はなるべくコンパクトな本を使う。一冊で分からないところが他の本を見ると分かることがあるから、手に入るだけは確保するのも……
少女:語学のときと同じ?
少年:うん。ただマイナー言語とは違って数学関係の書籍はたくさんあるから、なんでも集めろってことにはならないけど。数学だと教科書未満の入門書は2種類に分けられる。勝手に〈分かる〉系と〈解ける〉系と呼んでるんだけど、最初は〈解ける系〉の本をメインにして、〈分かる〉系はサブにする。
少女:その〈分かる〉系と〈解ける〉系って何?
少年:〈分かる〉系は、その数式で何やってるか分からない、イメージ沸かないという人向けの解説本。〈解ける〉系は、イメージがどうのというより、試験があったりしてとにかく問題が解けないと困る人向けの本。受験参考書や「単位がとれる」みたいな奴がこれ。傾向の話なんで、どっちの要素も含む本もたくさんあるけど、ページ数が少なくしようとすると、どっちかに特化する。
少女:なんで〈解ける〉系をメインにするの?
少年:数学は「分からない」と思ってる人が多いんで、一般向けの数学書は〈分かる〉系の方が強い(もっというと、ただの〈慰め〉だったり〈糖衣錠〉にしただけのものが圧倒的に多い)。でも、分かった気になっても、解けないとそれっきりで数学と継続的な関係を取り結べないし、理解といっても「お話」レベルに終わっちゃう。もひとつ言うなら、それだと速やかに忘れてしまう。

凡人が数学を語学として学ぶ具体的な手続きを説明する/図書館となら、できること番外編 読書猿Classic: between / beyond readers


というわけで、まったく薄くはないが、以下の問題集を使うことにした。もう一度言う、まったく薄くはない。

語りかける中学数学 問題集

語りかける中学数学 問題集


三回目だがもう一度言う。まったく薄くない。

言い方を変えて最後にもう一度言う。


むっちゃ厚い。


このように現在は語りかける中学数学 問題集を解きながら、わからないところは語りかける中学数学で理解するという方法で学習を進めている。

ちなみにこの年末年始で、中3の代数まで終わらせた。あと、中3幾何をやれば、一回目は終了。

2回目・・・?

高校数学に入れるのはいつになるだろうか・・・。

数学学習について ―動機と遍歴― (動機編)

数学学習、はじめました

プロフィールにもちらっと書いてあるが、私は現在数学学習中である。いわゆる「やり直し数学学習」であり、中学数学の参考書を使いながらちまちまと学習している。そこで今回は私の数学学習動機と、学習遍歴(といっても始めたばかりなのだが)について書く。全2回!ぱちぱちぱち。


学習の動機

ひとことでまとめると、「学校時代は数学大嫌いだったけど、大人になってサイエンス系の本読みたいから勉強するの」でございます。

学校時代

小学校5年生の「比」で算数に苦手意識を持って以来、中学高校と数学は嫌悪の対象だった。小学校・中学校では勉強量と暗記でなんとか乗り切ったものの、高校に入って勉強量が減ったと同時に、授業に全くついていけなくなった。高校では数学の定期テストで50点以上をとった記憶がない(テスト直前に例題を数個覚えてなんとか20~30点をとった)。大学受験では数学が試験科目にない大学を選択し、そして数学を完全に忘れ去りつつ大学の前半はすごした。

大学時代の後半で、統計学の授業をとってから、「あぁ数学がわかればもうちょっと統計学を深く学べるんだろうなあ」などと考えるようになり、数学への関心がすこしだけ(本当に少しだけ)高まった。が、ふたたび勉強をするには至らなかった。統計学も友人の助けを借り、なんとか単位をとった。

大学卒業後

専攻分野の勉強ばかりしていた学生時代が終わり、空いた時間でいろんな分野の本を読み始めたのだが、興味をひかれた分野は数学(『数学ガール』のようなエンタメ系と総称されるものから、数理論理学の本まで)や、サイエンスだった。あれだけ数学(や理科系科目)を毛嫌いしていたのに、なんで今更、と自分でも思った。ただ今まで真面目に勉強してこなかった分だけ、新鮮さを感じたのかもしれない。そういうわけで実際に手に取り、数冊読んでみた。


そして、毎回わからずに投げ出した。


わからないのは数学が理解できないだけじゃないだろうし、すぐ投げ出すのよくないよ!とも思うのだが、出てくる数学の話、数式、ロジック、それらが理解できない(何を言っているのかの糸口さえつかめない)のがたまらなくもどかしかった。そして思った。


そうだ、いっそのこと数学を再学習しよう!


時間はかかるかもしれない。しかし、一度数学の基礎をある程度固めてしまえば、読みたいと思っているサイエンス系の書籍が読める、それらを使って学習をさらに進化させることができる、そしてなにより、数学ができることで世界が広がると感じて(勝手に妄想して)いる。

数学は、科学(自然科学はもとより、大半の社会科学と、かなりの人文科学で)の共通言語です。
 一定程度マスターすれば、数カ国語を習得した以上の世界が眼の前に広がっていることを知って狂喜乱舞するはずです。いわば《語学としての数学》を習得する利益は非常に大きいと思われます。

数学にはネイティブはいない:「語学としての数学」完全攻略=風景+写経アプローチ 読書猿Classic: between / beyond readers


こうして、私は数学再学習を始めた。

(学習遍歴編につづく)


数学ガール (数学ガールシリーズ 1)

数学ガール (数学ガールシリーズ 1)